平成6年度 松久(仮名)編 〔通称Q(キュー)〕。

平成6年度カンカン恒例北海道スキーツアーは,天候には恵まれなく残念でした。

今回ツアーに 一緒に行ったキューが 残念ながら大学を留年する事と決まりました、従がって来年また参加してくれると思います。

そのキューちゃんの悲劇は、今回のスキーツアーに参加する直前(四日位前)に、学校から家へ速達が届いたことから始まる、今回のドタバタ。
その手紙によると 卒業単位が足りない科目が有り 追試を受けなければ卒業できないとのこと。

追試を受けるにはツアー参加日(21日)の、午前十時に大学へ行かなければならないと書いてあり いかなる理由でも当日以外は受け付けないと有りました。

当然キューはツアーをキャンセルして 大学を取ることを決断しました。
「意思が固いキューは キャンセル料を取られても大学を選びました」、と思うでしょうが

決断したはずが、「社会人になったら 我々とは一緒に遊びにいけない」だろうね。

キューの 計画では 卒業したらワーキングホリデイのパスをとり オーストラリアかニュージーランドに居る親戚にホームスティをして 半年から一年位日本に帰ってこないと言っていた。

何年もスノーボードを出来ず 皆と遊べないまま卒業すると後悔する そんな想いが 自腹で航空運賃をだしても ツアーの参加をさせることに成りました。

自分のボードを使わないと思い 友達に15万で買ったボードを6万円で売ったが 北海道に行くときは しっかり借りる事を約束していた。

上手い方法である、シーズン一回しか使わないなら早いうちに売り お金にしたほうがいいね。
だが そーは問屋が卸さない(古い?)、シーズンの事で その友達も 使いまくってビンディングが壊れてしまっていた。

そんなときカンカンで 蔵王で一緒になった佐藤 政男(仮名・通称マー君)とばったり出会う、仕事で今回は
行けないことをキューは聞き逃さない。
佐藤さん行けないんですか?(ラッキーと 口には出さないが 目が笑っていた。)しっかり借りる話をしていた。

遠慮なくボードを借りていたが マー君に借りるのはよくない。

前回のツアー(平成5年度)で、初日の足ねじり事件の為に5回位しか滑れなかったし 2日目 風邪を引き食事も出来ない 部屋で唯一の食べ物は 島谷さんが持ってきたバナナチップだけ それを 水と一緒に食べていた。

そんな前回の北海道の事があるのに そんないわく付きのボードだぜ キューどおーする?。

マー君が 今回参加したくて ボードケースなどを新品にして(前回の宅配バトルを踏まえ) 準備万端整えていた。
だが、どうしても休めない、仕事が〜・・に・く・い・ そんなマー君 複雑な心境でキューにボードをこころよく?貸す、が、顔は引きつっていた 「壊さないでくださいね」と 一言。

出発日これから色々考えた作戦実行。

皆と一緒に羽田まで始発で行き 航空券を手にしたら、航空券を買う人を探す。

これはダフ屋行為、キューは必死、ようやく、らっきょう頭のおやじに声を掛け見事成功 一万円でダフれ、ガッツポーズをきめ ラッキー1万円。

その外に みんなからのカンパにより一万二千円集まり、 計二万二千円を手にした。

通常の航空運賃は二万三千円位 キューホクホク、「やりぃ」とガッツポーズをきめた。

「じゃぁキュー、そろそろ行くからな」・・ マー君から借りたスノボー(さすが大事にスノボーをビニールでくるんである)を預かり 別れた。

その後 らっきょう頭のおやじは 我々のグループの一員である 飛行機が始めての人は窓際の席を与え らっきょう頭おやじは、通路側の席 その他の席はくじ引き らっきょ頭は竹本のとなり アンラッキョー?

キュー 急いで大学へ、と思ったら 学生証を忘れ青い顔をしていた。
茅ヶ崎へもどり 再び学校へ 追試のため受付を受けに行ったらしい。

我々から知恵を付けられ 金券ショップへ安い航空券を求め(約1万9千円)た。
そこで飛行機の搭乗時間を予約する気の効かし方、キュー 意気揚々 羽田へ 「ヨオッシ」

(バスの時間を調べろと言われていたのに)
だが、空港にきて、バスの時間を確かめると、その飛行機に乗ると千歳から留寿都行きの「バスが無〜い」とわかる。

慌てたキュー 急いでキャンセル、キャンセル料を取られ 再び、わざわざ羽田空港を離れ金券ショプへ走る・さっきより早い飛行機を予約して羽田に戻り 何とか間に合った。

羽田のごたごたで約八千円損をする。

何とか留寿都に着いたが 天候が悪く ナイターもできずに それでもめげずにマー君から借りたボードで 楽しく滑っていたら ネジがとれてバックル壊す。

そんなこと気にするキューでは無かった「ワッハッハ」。

夜になれば 飲み会が始まるが今回 北海道の岩見沢からO沢N樹君が参加してくれた。

北海道の大学に行っているN樹 一人暮らしだが 元気そうな顔をしていた。
久しぶりに会う N樹の友達のE藤Tやす君も参加している、積もる話もあるだろう。

キューの話に戻るが、 Q(キュー)は N樹に敬語を使っていた、同じ高校らしいが N樹のほうが3歳年下 どうも話が見えない 。

歳を聞いてQ(キュー)が唖然 直樹を三十才位に思っていた。

さんざん敬語を使っていたが、勝手に(年上だと)思い込み、年下だとわかると「お前〜年下なのに、そんな老けた顔しているじゃねぇ〜」と言っていた。

キューの気持ちもわかるが、 好きで老けた顔をしている訳ではない(O沢N樹)。(キューが悪い By kan長)

そんなこと言われたN樹、 小学生時代から大人の顔を持つ少年だ、慣れてはいるが、いくら先輩でもいい気持ちはしない、まして始めて会った先輩だ。

その後のN樹の飲み方は、すざまじい、覚えちゃいまいが、ふざけて取ったビデオに N樹の肛門まで映っていた、「とんでもない物をみせやがって・・・」

N樹に遇わせたかった奴がいたが 大学在学中に北大の医学部を受けるかも知れないとのことで ツアーには参加しなかった 。
早稲田に在学しているが カンカンの話題提供者でも有る武美 君だ、まことに残念!

キューの話に戻そう、無事? 低気圧に見回れたツアーがおわり 帰ったら翌翌日、追試を受ける事になっている。

「試験大丈夫か」 皆で心配していたが 本人いわく 「危なそうな所は前もって勉強して有りますから」、 「キュー え・ら・い!」。

佐藤政男(マー君)からカンカンに・ 「数日後までに、スキーに行くので キュー君に貸したボードを返してほしい」と言っていた、キューがボードを壊したのは言わなかった。

キューに,、マー君に電話をするように伝える、あやまれ・Q(キュー)。

数日後キューが、 店(カンカン)に現れ 当然試験の話になる 「試験はよかったのですが〜・・・・・」

どうしたの?か聞いたら 試験のほかに (論文を書いて来る様に)出されたと言っていた。

その 論文の量が半端な量ではなく 28日までに二百五十枚書いていくそうだ。

カンカンで話していたら、側にいたお客さんが「俺も80枚論文を書いたときがある」と言いはじめ「お客さんは、キューをなぐさめている」と思ったが・・そのあと「3日掛かりましたが、」

おい キューには3日の有余はないのだ。
そこでキューは「あ〜っ」と情けない声を出した。

きょうは、25日、あと26日・27日・28日の午後五時までに 二百五十枚書くには・・

さらに「2月28日までに アパートを出なくてはいけない」から引っ越しもしなくてはいけないし、 ボードも返しにいかないといけないし(その前に修理をして)もーたいへん。

一応計算してやった、寝る時間を4時間として・・引越しの荷物もまとめる時間もいるし・・28日5時までは・・・
「論文一枚5分で書け!それなら大丈夫だ!」だが、せっかく計算してやったのに、「計算しないでくださいよー」だって。

一応「カンバル」と言い残し 去っていくキュー さびしそうな背中に 「二百枚位でも許してくれるかもしれないぞ」と あてにならない なぐさめをする。

「頑張れキュー」とカンカンのエールが飛ぶが、引っ越し・ボードの修理・250枚の論文やってみせろ Q(キュー)

3月1日キュー来ない・2日、キューから連絡もない・どうしたキュー
3日多摩のアパートに電話をいれてみる・・プーッこの電話は現在使われておりません 番号をおた・・・居ない!

3日夕方 キューが来た、まず大学はどうしたか、キュー「だめでした」・店長「あー・やっぱり〜・・・ざんねんだね」(無理だと思っていた)by店長

「ボードは返したかキュー」・キュー「25日の七時に 北海道から宅配が届いて スポーツ店で応急修理して 十時までにマー君に届けました」。

それから東京都多摩のアパートに戻り 引っ越しのかたづけをしながら二百五十枚に挑んでいた。

まずは論文から始め/眠い/引っ越しの荷造り/論文/眠い/引っ越し/論文/眠い/掃除/論文/腹減る/カップラーメン/論文・・・・・・・・・体ボロボロ・・・

二日半、これを繰り返したそうだ、出来た論文・100枚!これだけ頑張ったら認めてくれるだろう。
この苦しかった2日半 俺も頑張ればこんなにできる 自分自身を誉めた。

28日の5時に間に合うように、ぎりぎりまで頑張って出来た論文、受付で 受け取ってくれない。

「あんなに あんなに頑張ったのになぜ250枚きっちり無いと受け取れないんのだー」
「ばばあ〜うけとれーと」大学の受付場所で怒鳴りたいのを押さえていた。

「ばばあ〜事務的にしゃべりやがって〜なにが規定に達してないから受け取れませんだぁ・・見てももらえなかったこの論文どうすんだー ばばあ〜」と、心の中で叫んでいたらしい。

・・・・おわった・・・

でも キューはエライ!いっしょに留年が決まった奴が一人いて そいつは自殺まで考えたそうだが キュー 「バカヤロー人生において たった一年の留年なんか大したことがないょー」と 教えていた。

「キュー、冗談でオーバーに自殺なんて言っているだけだよ」わかっているのかなー?

「とても善いことをやった自分が とてもえらく思えた」らしい、それどころではないとおもうが・・・・。

親にこの話をしたら 「お前が人に 言うことではない」と それから三時間も こってり絞られた。
それ以来 家に居るのが嫌なのか カンカンに毎日マンガを読みにきている。

だいたい 単位の足りないどころか、講義に一回も出ないで おまけに教授の顔も判らないで 卒業できると思っていたのか 学校ぐらい真面目に行け。

そんな訳で 留年が決まったQ(キュー)に 来年も北海道行こうと誘っておいた。
だが、懲りてないキューは「2月は避けましょうか」だって。

人生計画の、ホームステイは完全に無い 貯金残高が六十万以上のホームステイ(準備金)基準も 八十万円に上がっていた。
キューの 貯金残高四十万 金額的にも無理だった。

数日間のあいだ Q(キュー)の人生計画が ガラガラ音を建てて崩れていくのが 聞こえた感じがした数日間であった。

今から就職活動をするそうだ また話題を頼むぞ。

頑張れキュー         2002/08/05


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