不老山でニアミス

まだ正月を過ぎ 幾日もたっていないある日、ふと新聞見ると丹沢で遭難の記事が出ていた。

国道246号から丹沢湖に向う途中 西にある不老山という山に行ったきり 消息不明。

山の名前から 年配の人に人気が有るのではないかと思うが、

遭難したのは やはり70過ぎのおじいさんで、数日前から帰らないらしい。

山歩きをする ハイクコースを検討していたが、その新聞を見て 場所を不老山と決めた。

不老山に行き ついでに そのおじいさんを 探しに行こうと思う。 

行方不明から9日が経っていたが 今日は単独で不老山へ登山(低山だが)、車のカートップに自転車を積み丹沢湖に向う。

丹沢湖から世付川(よづくがわ)方面に入り 車止めがある少し前の 駐車場に車を止め 自転車を下ろす。

仕度をして こんどは自転車で来た道を引き返す。

丹沢湖から流れ出る川沿いに下り、棚沢キャンプ場まで行き、自転車を川の付近に置き 山に登る事にする。

キャンプ場付近から 不老山に登り、車のある世付川方面に下山する作戦だ、自転車は帰りに拾っていけば良い。

だが、不老山の入り口がわからない。

キャンプ場の人に尋ねようと 登る前にキャンプ場の管理事務所に寄った。 

カウンターの上に中が見えそうに 口が開いている手提げバックが置いてあるが・・・
いくら声をかけても誰も出てこない 人がいないのか バックの持ち主どこ行った〜?
「気みが悪い・・・」大きな声で呼びかけても どこにもいないのだ。

地図には 山へのとっつきが かなり適当に記入されている。 
キャンプ場から登り始めると すぐにキャンプ場の奥にある滝にぶつかる (ボウズクリの滝)。
そこから先 登山道はないように見える、やはり間違えたか?。

!(昔は滝の右脇からハイキングコースが有ったが 現在使われていない事を 親切にメールで教えていただきました!
教えてくれました方は、夢枕獏さんとお友達の「平塚PAT」またの名を「一の字」さん)

滝の(右岸側)向かって左脇は、杉が植林された急斜面、をこを無理やり登って行った足跡が有る。

「一月はまだ猟期なので、ハンターか 営林業(きこり)の人かどちらかだろう。」と思うが、その足跡の歩幅が気になった。
特に今の時期、藪っこきは危険だし、とっ着き(入山口)を探すことにする。

また、棚沢キャンプ場へ下りて行き、事務所に人がいないか探す。

しかし、まだ事務所のカウンターの上に手荷物(手提げバック)が置きっぱなしで口が開いていて 中に財布(たぶん)が見えていたのだ。
「事件か・・・」、あきらめて帰ろうとしたら、近くの小屋から人が出てきた。

「あーよかった」、事件でもあったかなと思ったが、出て来た管理人が、「洗濯していて聞こえなかった」。(な〜んて のんびりした事を言っていた)

洗濯機の音で わたしの声は消されていたのだろう。

私 「バック 出しっぱなしで ぶっそうですよ」と注意した。

不老山のとっつきを聞くが、なんてことはない、そこから100mくらいの下流にあった。
「無理して滝の脇を上がらないでよかった」と思った。

前にも書いたが 滝の脇の、杉を植林してある急斜面に 足跡がついていたが、その足跡が気になっていた。
しかし、今は猟期、変なところに入り込んで熊と間違われても大変、撃ち殺されたくない。

特に熊に間違えられる体型、山肌を崩す様に上る足跡を、無理に「たぶん猟に来たハンターが登っていったのだろう。」と 勝手に決めつけた。

キャンプ場の入り口にも 行方不明の おじいさんのチラシが (パウチして)貼ってあった。
かなり背の低い人で 軽装で持ち物もほとんどなく、遭難してから 一度 雪が降った事もあり 生存は難しいかも知れない。
ただ そのおじいさんのプロフィールを見た事で、滝の脇についた足跡が かなり気になっていたのは事実だ。

歩幅が小さく「背の低い人ではないかな」と、足跡を見た時に 直感的に思っていたからだ。

不老山を歩きながら人が落ちそうなところや 脇道、その他不審な踏み後(足跡)が無いか、探しながら頂上に着く。
途中 だいぶ捜索の人が来たのか、大勢の人がこの山に登った形跡があった。

今日はすれ違う人が殆どいない、出合ったのは2名だけだった。
結局、世付川方面に置いた車の方へ下山する。

残念だが おじいさんは見つからなかった。

ところが その翌翌日の新聞に おじいさん発見の記事が載っていた。

・・・・やはり、亡くなっていたのだ、新聞の内容を見ると 発見場所が書いてあった。

その場所は 棚沢キャンプ場から入っていった所にある ボウズクリの滝から上の更に奥で、谷に落ちたのだ。

やはり あの足跡はおじいさんの物であったと思う。

あの時 自分が足跡をたどり、10mもない滝の脇を上がっていれば、おじいさんを発見出来たかもしれない。
まだ生存していたかもしれない、亡くなってしまったのは 悔やまれる。

私も(山のとっつきに)迷った所で、おじいさんが同じように迷ったのだろう。
(迷ったと言うほどではないが 正確にはハイキングコースの取っ付きがわからなかった。)

わたしは引き返したが、おじいさんは山に入って行き、藪こきを強いられ、滝の上で足を滑らせ谷に落ちたのか。

年を取ると引き返すのが 大変な労を要するのだろう、だが、判らなければ引き返す事も 大切な事では無いでしょうか。

また、迷った人を探す場合、わざと迷ってみると発見が早いと思う。
擬似的に迷うことも必要だとも感じたのは、亡くなったおじいさんから教えられた事だ。

「ご冥福を祈ります」
 合掌・・・・


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